Tonojazz─ ─
アフリカ文化の多様化
8.13
今日はクマシにある大学に用事があったため、昼からのセッションをキャンセルして町まで足を運んだ。クマシはアクラに次いで大きな町らしいだけあり、いつ行ってもインドのボンベイのような活気がある。夏休みということもありキャンパスは閑散としている。
先週知り合った地元のミュージシャンにコンタクトを取り、夜は彼のバンドが演奏するホテルのラウンジに行ってみた。ヒルトンと同等のクラスで地元でも利用できる客は限られる。それでも週末だけあり白人観光客やビジネス、家族連れなどでにぎわっていた。たまたまレギュラーのメンバーがそろわず、いつもはジャズも演奏するらしいのだが、今日は最後までご機嫌なハイライフ一辺倒であった。
ハイライフとは黒人が奴隷として白人社会に利用されていた時期に生まれたもので、使用人が使えていた西洋人の奏でるギターをまねてやりだしたのが始まりらしい。彼らから見た手の届かぬハイライフがまさに、そこで演奏されていた音楽だったのだろう。
一方ヒップライフというものも存在しており、カテゴリーに分けてここでは呼ばれている。
これはハイライフから派生したもので、ヒップホップの中に属するスタイルとして認識して良いようだ。
これにちかいものでパームワインミュージックというものもある。
このパームワインとは地元ガーナでどこでも見られる地酒(といってもアルコールは含んでいないらしい)でやしの実から取れた汁を発酵させたもので、常温で飲むのが一般的である。何度か試してみたが、一度飲むと結構やみつきになるもので、特に暑い午後の日陰で一杯のむと格別である。この由来はやはり奴隷制度があった当時、労働の合間に休みながら飲みかわしたパームワインらしい。そこで奏でた音楽がルーツになっている。なんとなくアメリカのカントリーミュージックを思わせるような気だるさと明るさがある音楽だ。
今日のギタリストの友人に聞いたところ、ハイライフは地元ではごく一般的に知られており、どの曲も皆スタンダードらしい。なので、レギュラーのバンドが入れないときのセッションバンドなどではこういう、誰でもが知っているハイライフのナンバーを無難に演奏するのが定番だということ。確かに聴いている客の様子も、リラックスしていて知っている曲だと、そんな感じがした。確か自分が始めて聴いたハイライフの生演奏は東京の今はなきピガピガというアフリカン料理とライブの店で(我が心の師匠でもあるドラマーの故石川晶氏が始めたお店)だったと思う。その当時はハイライフも何も知らずなんとなく、単調でつまらない音楽にしか聴こえなかったのが今から思うと懐かしい。このハイライフが地元のミュージシャンと共に自然に演奏できたらどんなに楽しいだろうなと、彼らの笑顔を見ながら聴いていた。このまったりとしたリズムの中で泳ぐように体をゆだねると、誰でも心を開かずにはいられない。そんな音楽がハイライフだろうか。
ジャンルというものは非常に定義しにくく、音楽の場合もやはり、内容の違いで判断するのではなく、とにかく一般的によく呼ばれる名前が先に浸透する傾向があるようだ。
ハイライフも様々なスタイルが存在しており、地域が違うとまるで似ても似つかぬような曲がどれもハイライフだったりするというのが現実である。
アフリカの場合同じ国内でも地域が違うと言葉も当然違い、お互いにそれぞれがプライドを持って自分の育ったところの音楽や踊りを伝えようとする。そんなバラエティーに富んだ文化の相違がアフリカ音楽をさらに深く面白いものにしているような気がする。
今日はクマシにある大学に用事があったため、昼からのセッションをキャンセルして町まで足を運んだ。クマシはアクラに次いで大きな町らしいだけあり、いつ行ってもインドのボンベイのような活気がある。夏休みということもありキャンパスは閑散としている。
先週知り合った地元のミュージシャンにコンタクトを取り、夜は彼のバンドが演奏するホテルのラウンジに行ってみた。ヒルトンと同等のクラスで地元でも利用できる客は限られる。それでも週末だけあり白人観光客やビジネス、家族連れなどでにぎわっていた。たまたまレギュラーのメンバーがそろわず、いつもはジャズも演奏するらしいのだが、今日は最後までご機嫌なハイライフ一辺倒であった。
ハイライフとは黒人が奴隷として白人社会に利用されていた時期に生まれたもので、使用人が使えていた西洋人の奏でるギターをまねてやりだしたのが始まりらしい。彼らから見た手の届かぬハイライフがまさに、そこで演奏されていた音楽だったのだろう。
一方ヒップライフというものも存在しており、カテゴリーに分けてここでは呼ばれている。
これはハイライフから派生したもので、ヒップホップの中に属するスタイルとして認識して良いようだ。
これにちかいものでパームワインミュージックというものもある。
このパームワインとは地元ガーナでどこでも見られる地酒(といってもアルコールは含んでいないらしい)でやしの実から取れた汁を発酵させたもので、常温で飲むのが一般的である。何度か試してみたが、一度飲むと結構やみつきになるもので、特に暑い午後の日陰で一杯のむと格別である。この由来はやはり奴隷制度があった当時、労働の合間に休みながら飲みかわしたパームワインらしい。そこで奏でた音楽がルーツになっている。なんとなくアメリカのカントリーミュージックを思わせるような気だるさと明るさがある音楽だ。
今日のギタリストの友人に聞いたところ、ハイライフは地元ではごく一般的に知られており、どの曲も皆スタンダードらしい。なので、レギュラーのバンドが入れないときのセッションバンドなどではこういう、誰でもが知っているハイライフのナンバーを無難に演奏するのが定番だということ。確かに聴いている客の様子も、リラックスしていて知っている曲だと、そんな感じがした。確か自分が始めて聴いたハイライフの生演奏は東京の今はなきピガピガというアフリカン料理とライブの店で(我が心の師匠でもあるドラマーの故石川晶氏が始めたお店)だったと思う。その当時はハイライフも何も知らずなんとなく、単調でつまらない音楽にしか聴こえなかったのが今から思うと懐かしい。このハイライフが地元のミュージシャンと共に自然に演奏できたらどんなに楽しいだろうなと、彼らの笑顔を見ながら聴いていた。このまったりとしたリズムの中で泳ぐように体をゆだねると、誰でも心を開かずにはいられない。そんな音楽がハイライフだろうか。
ジャンルというものは非常に定義しにくく、音楽の場合もやはり、内容の違いで判断するのではなく、とにかく一般的によく呼ばれる名前が先に浸透する傾向があるようだ。
ハイライフも様々なスタイルが存在しており、地域が違うとまるで似ても似つかぬような曲がどれもハイライフだったりするというのが現実である。
アフリカの場合同じ国内でも地域が違うと言葉も当然違い、お互いにそれぞれがプライドを持って自分の育ったところの音楽や踊りを伝えようとする。そんなバラエティーに富んだ文化の相違がアフリカ音楽をさらに深く面白いものにしているような気がする。