Tonojazz─ ─
ガーナでの日記
ガーナに滞在中に書いた日記がでてきた。
Dubai @ 7:30
人種の違いを感じながら、ひとつの航空機に乗り込む。
中東の匂いと人々の表情。

黒人とアラブ系が入り混じる空間。
なぜか親しみを感じるのはなぜだろう。
朝の空港はまだ人も少ない。

スタンドのコーヒーを飲みながら行きかう人々を眺める。

長いシャトルを乗り付けてタラップに向かう。
EM747
明らかにガーナの人々だとわかる乗客に混じり、すでに現地の予感がする。
これから始まる数週間のハプニングに、ひたすら心躍らす。
母に伝えたいこの想いを、歌にかえて届けよう。
8.10.2010 12PM Accra international air port
降り立った瞬間、アフリカを感じる。あの匂いと時の流れ。
20年前に感じたケニヤと同じ。すべてがローカルな感じをたもっている。

税関をなんなく通過。なにも聞かれず調べられず。久々の入国時の緊張感があっけなくない。なんともローカルな
空港である。出口にいるはずのベルナルドが見渡せどいない。1時間近くまってみる。なんとなく不安な、でも昼
の12時に到着した便だということでなぜか気持ちにあせりはない。もうそろそろ電話でもかけようかと周りを見
渡したところ、HITOMI TONO’KA のサインをもった男が近寄ってくる。 いたいた! よかった。私も探さなか
ったけれど、彼もずっとそこにいたらしい。。なんともアフリカである。キャブに乗り込み熱気を感じながら町の
中を走る。唐突におろされたかと思えば今度はバスに乗るためスーツケースをひっぱりだし、ここはインドかと見
間違えるほどの雑踏に待つこと10分程度。(に感じた、少なくとも) な、んと、マタトゥのような乗り合いバ
スが来てこれに乗れという。。おそらく定員10人ほどであろうかのバンに20人はのっていた気がする。無理や
り座席に押し込められ、砂利道をまるでサファリのごとくはしること30分。。助手席にスーツケースを乗せて回
りに今にもぶつかりそうな距離をひたすら黙って走る。道行く物売りを横目についたところはとある村。。またそ
こからキャブを使ってしばらく行くとあった。Dagara Music Center
だ。
8.10 6am
朝の目覚め。鳥の声。キッチンからの音。外をほうきで掃く人の声。
いつもの朝。 そんな感じがする。 あたりまえのように存在していて実は一番安心す音。
言葉が音楽に聞こえる、異国でのこの感触。心地よい。
その心地よさに、流れに身をゆだねる。
ただ体をそこに存在させる。
部屋のファンを回しながら何気なく見る天井が、遠い日を感じさせるのはなぜだろう。
時代は流れ、文化が変わり、生活が変わり、意識がかわっていく中で、唯一変わらずありつづけるのが、オンガク
なんだろうか。
8.11.2010
Agnes and Louiza are always happy.


Raining, 雨。肌寒い朝。なんとなくすべてがひっそりとしている。
ここはガーナ。 ゆっくりと、ゆっくりと過ぎてゆく。
やぎ。

こやぎと母やぎ。 命を共にしている感じがする。
生活と音楽、踊りすべてがリンクする場所。

ここに生まれた人たちは、明るくおおらかだ。


人は生きることにエネルギーをそそげなくなった瞬間に心病む。
豊かさとは経済力ではなく、人間の持つ命のひだのこと。
音にあふれた、心から音楽を愛している人たちの周りには、自然に笑顔があふれる。
ひとつひとつの唄に意味があり、それぞれの場所で受け継がれる。
それは伝統と呼ぶだけでは説明できない、人のエネルギーが込められ人が生まれて死んでゆくすべてのプロセスを
意味する。

リズムが言葉になり、ことばがリズムになる。 幼児がひとつひとつ話しことばをひろって覚えてゆくように 音
楽が作られてゆく。

生きることと直結したうたや踊り。 それはそこに生きる人間のすべてをあらわす。

開放。
心を解放す喜びを人々は知っている。体と心がひとつになって飛び出してゆく
時を彼らは生まれたときから知っている。
朝から晩まで、それは当たり前に存在している。解き放つ喜びを、惜しげもなく分かち合って暮らす彼らの中には
きらりと輝く生命の源がみなぎっている。
肉体と精神がひとつになる瞬間を知ると人はおおらかになり、やさしくなる。
そんな人々が地球上にあふれ出して、全部がやさしさに包まれたらどんなに素敵だろう。
人の心を動かすことができる音楽家。
それが求められる本当の道。
私はそれをここに来て確かめる。 たくさんの唄を覚えることが先決ではないのだ。
たとえうまく演奏したとしても、それは人の心を震わせない限り意味はない。
心を響かせる音を作るのが音楽家の使命であるのだ。

音は必ず伝わり共鳴し、返ってくる。 人の心に届いた音はそのまま跳ね返ってくる。
受け止めて、投げ返し、それを繰り返してゆくことが、美しく意味のある音楽を
作り出す原点であろう。
こんなにもすばらしい文化を惜しげもなくそして、我慢強く差し出してくれる彼らに私は感謝と敬意の念を覚える。
彼らから受け取った財産を、今度は自分が伝えてゆかねばと心を新たにする。
8.12.2010 ( day 3 )
コーランの音が遠くでしている。
動物の声が入り混じり、やはり音のカオスを作る。 インドの音を想いだす。
静寂かカオスか。 町の中でもないのにこんなにも音があふれている。
人工的な都会がさびしく感じるのはその疎外感、もっとも音にあるのではないだろうか。
人が生きている、命の音がしない近代社会で人は孤独を感じる。
生きることは音がすることであり、証である。
こんなに生の音があふれる日常に、おそらく配信音楽は必要ないだろう。
野外の空気とすべてがつながっている。もちろんエアコンなどないのでまどを
閉める必要だってない。その開放感はそこにもあるのだろう。
ひとしきり降り続ける雨。
やむことのない、水にすべてはひっそりと息を潜める。
動物や人は同じように目覚めて、同じようにルーチンを繰り返す。
その積み重ねが人生になり、一生になり、また私たちはここに戻ってくる。
アフリカの音楽はたくさんのセグメント(断片)が重なり合ってできている。
それはここに生きる人々の生き方と同様、すべてを受け入れ、助け合う。
時には支え、支えられ、長い長いひとつの物語が出来上がる。
それぞれの断片は変化し続け、最初の形からは姿を変える。
ひとつづつを順序隔ててたどることによって、最後は万華鏡の絵のような完成されたものが出来上がる。 目の前
にあるものを、正しく理解し感じることにより、次へのステップが生まれてゆく。 それは、彼らのライフスタイ
イルに通じるものがあり、ひとつとして無駄になるものは含まれない。
自分の役割というものを果たして初めて、社会の中で存在できるごく、当たり前のことが
実は現代社会の一番忘れていることだと、改めて思う。
最小限の単位で動くものが、重なって、時に反発して、初めて力のある芸術へとなる。
彼らは生まれたときからそれを知っているようだ。
時に時代は変わり、以前のようなしきたりや文化が薄れてゆき、若い者たちの意識は次第に
変わってゆく。しかしそれが完全に覆されることはないだろう。今までの蓄積されてきた生命の精神が、我々をき
っと導いてくれるに違いない。
人の笑顔が深い。 そして確かな命の存在がここにはある。

豊かさとは、こういうことなのだ。
私がこの世界を旅立つとき、きっと彼らのくれた命の輝きが、大きな意味を持つのだろう。
母が教えてくれた、生きることの意味。 母が教えてくれた、輝くことの意味。
確実に今自分の中に流れる、命への憧れと生きる実感に反映する。

私はここへ、また人生の喜びを祝福するためにやってきた。先に行った母は、きっと見ているのだろう。今まで道
びいてくれたように、これからの時間を共に生きてくれるような気がする。

それは永遠という、時間の枠からはずれたところに存在する精神の生きる場所。
音楽を分かち合い、ともに喜びあうことで、そこへ少しでも到達できるような気がする。

今日も雨。
アフリカが目覚める。そして始まる今日。
私は今ガーナにいる。

地球に生まれて、出会えてよかったと心から思う瞬間をありがとう。
8.19
ふと気づくと真夜中である。
このあたりでは夜があたりまえのように暗い。
すべてが表情を変える。
一日の喧騒から開放されるひと時。静寂と闇が次への新たな日へまたエネルギーを蓄える。
夜とは、そういうものなのである。
人生は甘くそして 美しい。
この世に生まれてきたことは、生命の証であり、試されているのだろうか。
道に群がる物売りたちを横目に車中から、生きることの意味を想う。
わずかの金を得るために費やす労力をぼんやり考える。
生きている意味はなんなのだろう。

同じ世界に生まれ、同じ機能を持った生命体が環境によって異なった思考、生活を営み暮らしている。 我々の持
つ価値とはいったい何なのだろうか。
遠い日を夢見るように、アフリカに生きる人々がみな陽気で豊かなイマジネーションと感性を持つのと同様、世界
が変わればどんなに素敵だろうと。
この地に住むすべての妖精たちへ。
この地に宿るすべての精神へ。
夜空に輝くすべての星へ。
大地に流れるすべての水へ。
この世界に祝福しよう。
この世界を称えよう。
私の上には何があるのだろう。
私の下には何があるのだろう。
時間を超越した場所に旅しよう。
鳥はきっと知っている。
彼らの住む世界は純粋で限りなく広い。
私はとりになりたい。
木の実のあふれる山に住む、羽の生えた住人。
水があり木々に囲まれた楽園。
母はきっとそこにいるのだろう。
ずっと夢見ていたのだから。
川辺で羽を休め、日の光を浴びながら幸せな気持ちで。
母はそこにいるのだろう。
山の中にこだまする鳥の声に合わせて踊る舞鳥。
くるくると回りながら、幸せな気持ちで。
いつか会えるだろうか。また母とめぐり合うことができるだろうか。

私はまたここへ戻ってくる。
***********************************************************************
雨の後のひとときの開放感。虫の声が聞こえる。ここはもう秋なんだろうか。
肌寒くさえ感じる朝と夜。今日がひとつの風が吹いた感じがする。
ラマダン。最近なじみのない響きだ。
コーランが聴こえる。朝も夜も。
そして前の教会と呼ぶには程遠い壁のない建物の中では、人々の歌う声とドラムの音がこだまする。
太鼓の音だけで歌える、踊れるのだ。
本当はそれが自然な形なんだろう。
いつのころからか、ハーモニーがないと歌えないと言い出したのは。

なんと恥ずかしいことだろう。
原点を完全に忘れ去り、周りに取り巻く飾りにだけこだわりはじめたのは。

いつのころからなんだろう。
近代西洋文化が変えてしまったのだろうか。
いつのころからなんだろう。
ドラムで唄をうたうことを忘れてしまったのだろうか。

ここに留まり、しばしここに住む人たちと同じ空気を吸って話せることを嬉しく思う。

私はここに技術や知識を得るためにやってきたのではない。

人々の生活と生き方を分かち合うためにいるのだから。

なんだかせわしくやって来て、帰って行った西洋人の一団をなんとなく滑稽に見ていた。
たった数時間でなにがわかるのだろう。と疑問に思う。

それは合理的社会にあたりまえに生きる現代の人間にとって何の問題もないことであり、逆にそれは当然の事とし
て考えられるのだろう。
いろいろな想いが交錯する。

Dubai @ 7:30
人種の違いを感じながら、ひとつの航空機に乗り込む。
中東の匂いと人々の表情。

黒人とアラブ系が入り混じる空間。
なぜか親しみを感じるのはなぜだろう。
朝の空港はまだ人も少ない。

スタンドのコーヒーを飲みながら行きかう人々を眺める。

長いシャトルを乗り付けてタラップに向かう。
EM747
明らかにガーナの人々だとわかる乗客に混じり、すでに現地の予感がする。
これから始まる数週間のハプニングに、ひたすら心躍らす。
母に伝えたいこの想いを、歌にかえて届けよう。
8.10.2010 12PM Accra international air port
降り立った瞬間、アフリカを感じる。あの匂いと時の流れ。
20年前に感じたケニヤと同じ。すべてがローカルな感じをたもっている。

税関をなんなく通過。なにも聞かれず調べられず。久々の入国時の緊張感があっけなくない。なんともローカルな
空港である。出口にいるはずのベルナルドが見渡せどいない。1時間近くまってみる。なんとなく不安な、でも昼
の12時に到着した便だということでなぜか気持ちにあせりはない。もうそろそろ電話でもかけようかと周りを見
渡したところ、HITOMI TONO’KA のサインをもった男が近寄ってくる。 いたいた! よかった。私も探さなか
ったけれど、彼もずっとそこにいたらしい。。なんともアフリカである。キャブに乗り込み熱気を感じながら町の
中を走る。唐突におろされたかと思えば今度はバスに乗るためスーツケースをひっぱりだし、ここはインドかと見
間違えるほどの雑踏に待つこと10分程度。(に感じた、少なくとも) な、んと、マタトゥのような乗り合いバ
スが来てこれに乗れという。。おそらく定員10人ほどであろうかのバンに20人はのっていた気がする。無理や
り座席に押し込められ、砂利道をまるでサファリのごとくはしること30分。。助手席にスーツケースを乗せて回
りに今にもぶつかりそうな距離をひたすら黙って走る。道行く物売りを横目についたところはとある村。。またそ
こからキャブを使ってしばらく行くとあった。Dagara Music Center

だ。
8.10 6am
朝の目覚め。鳥の声。キッチンからの音。外をほうきで掃く人の声。
いつもの朝。 そんな感じがする。 あたりまえのように存在していて実は一番安心す音。
言葉が音楽に聞こえる、異国でのこの感触。心地よい。
その心地よさに、流れに身をゆだねる。
ただ体をそこに存在させる。
部屋のファンを回しながら何気なく見る天井が、遠い日を感じさせるのはなぜだろう。
時代は流れ、文化が変わり、生活が変わり、意識がかわっていく中で、唯一変わらずありつづけるのが、オンガク
なんだろうか。
8.11.2010
Agnes and Louiza are always happy.


Raining, 雨。肌寒い朝。なんとなくすべてがひっそりとしている。
ここはガーナ。 ゆっくりと、ゆっくりと過ぎてゆく。
やぎ。

こやぎと母やぎ。 命を共にしている感じがする。
生活と音楽、踊りすべてがリンクする場所。

ここに生まれた人たちは、明るくおおらかだ。


人は生きることにエネルギーをそそげなくなった瞬間に心病む。
豊かさとは経済力ではなく、人間の持つ命のひだのこと。
音にあふれた、心から音楽を愛している人たちの周りには、自然に笑顔があふれる。
ひとつひとつの唄に意味があり、それぞれの場所で受け継がれる。
それは伝統と呼ぶだけでは説明できない、人のエネルギーが込められ人が生まれて死んでゆくすべてのプロセスを
意味する。

リズムが言葉になり、ことばがリズムになる。 幼児がひとつひとつ話しことばをひろって覚えてゆくように 音
楽が作られてゆく。

生きることと直結したうたや踊り。 それはそこに生きる人間のすべてをあらわす。

開放。
心を解放す喜びを人々は知っている。体と心がひとつになって飛び出してゆく
時を彼らは生まれたときから知っている。
朝から晩まで、それは当たり前に存在している。解き放つ喜びを、惜しげもなく分かち合って暮らす彼らの中には
きらりと輝く生命の源がみなぎっている。
肉体と精神がひとつになる瞬間を知ると人はおおらかになり、やさしくなる。
そんな人々が地球上にあふれ出して、全部がやさしさに包まれたらどんなに素敵だろう。
人の心を動かすことができる音楽家。
それが求められる本当の道。
私はそれをここに来て確かめる。 たくさんの唄を覚えることが先決ではないのだ。
たとえうまく演奏したとしても、それは人の心を震わせない限り意味はない。
心を響かせる音を作るのが音楽家の使命であるのだ。

音は必ず伝わり共鳴し、返ってくる。 人の心に届いた音はそのまま跳ね返ってくる。
受け止めて、投げ返し、それを繰り返してゆくことが、美しく意味のある音楽を
作り出す原点であろう。
こんなにもすばらしい文化を惜しげもなくそして、我慢強く差し出してくれる彼らに私は感謝と敬意の念を覚える。
彼らから受け取った財産を、今度は自分が伝えてゆかねばと心を新たにする。
8.12.2010 ( day 3 )
コーランの音が遠くでしている。
動物の声が入り混じり、やはり音のカオスを作る。 インドの音を想いだす。
静寂かカオスか。 町の中でもないのにこんなにも音があふれている。
人工的な都会がさびしく感じるのはその疎外感、もっとも音にあるのではないだろうか。
人が生きている、命の音がしない近代社会で人は孤独を感じる。
生きることは音がすることであり、証である。
こんなに生の音があふれる日常に、おそらく配信音楽は必要ないだろう。
野外の空気とすべてがつながっている。もちろんエアコンなどないのでまどを
閉める必要だってない。その開放感はそこにもあるのだろう。
ひとしきり降り続ける雨。
やむことのない、水にすべてはひっそりと息を潜める。
動物や人は同じように目覚めて、同じようにルーチンを繰り返す。
その積み重ねが人生になり、一生になり、また私たちはここに戻ってくる。
アフリカの音楽はたくさんのセグメント(断片)が重なり合ってできている。
それはここに生きる人々の生き方と同様、すべてを受け入れ、助け合う。
時には支え、支えられ、長い長いひとつの物語が出来上がる。
それぞれの断片は変化し続け、最初の形からは姿を変える。
ひとつづつを順序隔ててたどることによって、最後は万華鏡の絵のような完成されたものが出来上がる。 目の前
にあるものを、正しく理解し感じることにより、次へのステップが生まれてゆく。 それは、彼らのライフスタイ
イルに通じるものがあり、ひとつとして無駄になるものは含まれない。
自分の役割というものを果たして初めて、社会の中で存在できるごく、当たり前のことが
実は現代社会の一番忘れていることだと、改めて思う。
最小限の単位で動くものが、重なって、時に反発して、初めて力のある芸術へとなる。
彼らは生まれたときからそれを知っているようだ。
時に時代は変わり、以前のようなしきたりや文化が薄れてゆき、若い者たちの意識は次第に
変わってゆく。しかしそれが完全に覆されることはないだろう。今までの蓄積されてきた生命の精神が、我々をき
っと導いてくれるに違いない。
人の笑顔が深い。 そして確かな命の存在がここにはある。

豊かさとは、こういうことなのだ。
私がこの世界を旅立つとき、きっと彼らのくれた命の輝きが、大きな意味を持つのだろう。
母が教えてくれた、生きることの意味。 母が教えてくれた、輝くことの意味。
確実に今自分の中に流れる、命への憧れと生きる実感に反映する。

私はここへ、また人生の喜びを祝福するためにやってきた。先に行った母は、きっと見ているのだろう。今まで道
びいてくれたように、これからの時間を共に生きてくれるような気がする。

それは永遠という、時間の枠からはずれたところに存在する精神の生きる場所。
音楽を分かち合い、ともに喜びあうことで、そこへ少しでも到達できるような気がする。

今日も雨。
アフリカが目覚める。そして始まる今日。
私は今ガーナにいる。

地球に生まれて、出会えてよかったと心から思う瞬間をありがとう。
8.19
ふと気づくと真夜中である。
このあたりでは夜があたりまえのように暗い。
すべてが表情を変える。
一日の喧騒から開放されるひと時。静寂と闇が次への新たな日へまたエネルギーを蓄える。
夜とは、そういうものなのである。
人生は甘くそして 美しい。
この世に生まれてきたことは、生命の証であり、試されているのだろうか。
道に群がる物売りたちを横目に車中から、生きることの意味を想う。
わずかの金を得るために費やす労力をぼんやり考える。
生きている意味はなんなのだろう。

同じ世界に生まれ、同じ機能を持った生命体が環境によって異なった思考、生活を営み暮らしている。 我々の持
つ価値とはいったい何なのだろうか。
遠い日を夢見るように、アフリカに生きる人々がみな陽気で豊かなイマジネーションと感性を持つのと同様、世界
が変わればどんなに素敵だろうと。
この地に住むすべての妖精たちへ。
この地に宿るすべての精神へ。
夜空に輝くすべての星へ。
大地に流れるすべての水へ。
この世界に祝福しよう。
この世界を称えよう。
私の上には何があるのだろう。
私の下には何があるのだろう。
時間を超越した場所に旅しよう。
鳥はきっと知っている。
彼らの住む世界は純粋で限りなく広い。
私はとりになりたい。
木の実のあふれる山に住む、羽の生えた住人。
水があり木々に囲まれた楽園。
母はきっとそこにいるのだろう。
ずっと夢見ていたのだから。
川辺で羽を休め、日の光を浴びながら幸せな気持ちで。
母はそこにいるのだろう。
山の中にこだまする鳥の声に合わせて踊る舞鳥。
くるくると回りながら、幸せな気持ちで。
いつか会えるだろうか。また母とめぐり合うことができるだろうか。

私はまたここへ戻ってくる。
***********************************************************************
雨の後のひとときの開放感。虫の声が聞こえる。ここはもう秋なんだろうか。
肌寒くさえ感じる朝と夜。今日がひとつの風が吹いた感じがする。
ラマダン。最近なじみのない響きだ。
コーランが聴こえる。朝も夜も。
そして前の教会と呼ぶには程遠い壁のない建物の中では、人々の歌う声とドラムの音がこだまする。
太鼓の音だけで歌える、踊れるのだ。
本当はそれが自然な形なんだろう。
いつのころからか、ハーモニーがないと歌えないと言い出したのは。

なんと恥ずかしいことだろう。
原点を完全に忘れ去り、周りに取り巻く飾りにだけこだわりはじめたのは。

いつのころからなんだろう。
近代西洋文化が変えてしまったのだろうか。
いつのころからなんだろう。
ドラムで唄をうたうことを忘れてしまったのだろうか。

ここに留まり、しばしここに住む人たちと同じ空気を吸って話せることを嬉しく思う。

私はここに技術や知識を得るためにやってきたのではない。

人々の生活と生き方を分かち合うためにいるのだから。

なんだかせわしくやって来て、帰って行った西洋人の一団をなんとなく滑稽に見ていた。
たった数時間でなにがわかるのだろう。と疑問に思う。

それは合理的社会にあたりまえに生きる現代の人間にとって何の問題もないことであり、逆にそれは当然の事とし
て考えられるのだろう。
いろいろな想いが交錯する。
